大人問題

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五味太郎大人問題 (講談社文庫)講談社,2001
五味太郎さんの作品感想


sskr31さんの感想を読んで手にとりました。「情けないほど個人的な個人があまりにも少ない、この社会です。」「行きたい方向がなんとなくあると、人生それなりに甘いよ」最初からぐさぐさ刺さる文章の連続です。
色んなエピソードがぽつんぽつんと描かれているのですが、どれも攻撃的でそれが響きます。私の場合はしおりでしたが、かなり挟み込む羽目になりましたもん。イラストはあるし文字は大きいし200ページ程度なのにね。


有害図書という視点から「あまり本が好きではない大人が子どもの本の世界をめちゃくちゃにします。」にはよく言ってくれたという感じがしました。ファミコン・メンコ・ベーゴマ「ばっかりやってる」と言われるのは、すごい分かります。
偏ることに敏感になるのは当たり前のことになってる気がしますし。子どもをバランスよく成長させたいという親心を、「はじめっから敗者復活戦みたいです」と過激に変換しちゃってます。そこが魅力的。
過激ではあるんですが、ツボにはまるような笑いのポイントも。親が必要というより、話を聞いてくれる大人が必要という話題の中で出てきた「「産んでくれって頼んだ覚えはねェよ」という、非常にわけのわかるセリフを吐きます」の一文にはクスリ。
世間様、世間体、世間並みと話が来て、「子どもはけっしてヤクザではありません」の結論は思わず吹きました。この言葉選び好き。また、クラス全員が仲良しなほうがいい話を、行ける寿司屋を地域で選別する法律で例えていたのにも笑いました。その後ちょっと考えましたけど。
文化のねずみ講ってのは面白い名前だな〜。オタクの話でも関わってくるけれども、伝統とか努力の比重が重いですからね。


大人がうんざりしている行事に、はりきらなければいけない子どもの図も想像したら、不謹慎だけれども楽しかった。先生たちだって、そういうイベントが面倒だなって思った時期があったんだろうなと思うとね。私もありました。会社に入って懐かしくなってきましたけど。ネガティブな思いでは忘れちゃうものかな。
最後のガバッとやってしまいました、これを性教育化できるんでしょうか」という問いかけもニヤニヤ。いや、今はニヤニヤしてればいいけど、実際子どもに聞かれたらどうしよう。気が早いけど、今から考えとかないとだめなのかしらん。


大人は素直な子どもを求めるので、「サボってる大人用の答えを模索しなくちゃいけない」このサボるという発想は新鮮でした。
選ぶ楽しさがあれば、競うことにもそれなりの意味が出てくるはずです」の話も結局そこにいくんでしょうね。サボることが目的だから試験が面白くないわけで、大人が決めた競争じゃなければ十分に楽しくて熱中しちゃいます。
それと、ニンジン問題かー。昔は好き嫌いがあるとだめだよと言われていた気がしますが、今じゃ嫌いな食べ物あっても怒られませんもんね。
同期の飲み会でも、嫌いなものあるかどうか確認してオーダーしてたりしますし。う〜ん、せっかく出された料理を食べれないときに、こういうのは関わってくるのかな。でも、そういう機会ってほとんどありません。


基本は禁止で許可が必要になってくる」という態度はまさしく私自身だなと思った。周りからどう思われるか心配で無難な行動しかしませんよ。「新人」「ルーキー」だから、もっとアクティブに動いてもよかったかな〜。今の自分が嫌いなわけじゃないけどさ。
科目別は子どもの感性をも科目別化することを強要という指摘はどうなんでしょうね。まあ、専門家が重宝されている社会だとは思いますが。個性的になり生き残るには専門的なほうがいいんでしょうかね。
そして、「学ぶということは豊かなことなんだという考えが大人にはない」という話は、知ってはいてもなかなか実践的には理解できてないかも。小説を読むのも勉強だと思えるくらいの意識の違いが必要かな。読書は楽しいので勉強だとは思っていませんから。


「いろんなやつがいる」のを見たからだった」という思いでも印象的。私の思い出ともちょいと合致する部分があったので。
アメリカでホームステイしたときに、その子が英語のテストで六十点くらいだったのを見て妙な気持ちになったのを思い出したのですよ。そりゃ考えてみれば、私だって国語のテストで百点取れるわけじゃないですから当然のことだけれども。
あと、同い年とは思えないほどの美女がいたし、がたいのがいいのはいっぱいいたけども、めがねかけたひょろい子も何人かいたし、私よりちびっこだっていたわけで。


大雑把に区切って効率的に教育しようと決めているのが、根っこの問題かな。あるいは、これも乱暴なくくりで楽をしようとしている感想なのかも。こんなに問題があったら、いざ子どもが出来てから考えていたんじゃ遅い、ですよね〜。