スロー・リーディング その3

・18、19ページ
☆「そこにいたのはやっぱり和人だった
毎回のことであることがわかります。金曜日に毛布おばけになるのは毎週のことなので、和人がくるのも毎週のこと。
△「ふたりで毛布おばけのそばに行く。あたしとお姉ちゃんだけでっもきついのに(当たり前だ、階段の踊り場なんだから)、身体の大きい和人が来ると、ひどく狭苦しい
「毛布おばけ」と「お姉ちゃん」の使いわけは? これまで過去の出来事ではお姉ちゃん、そこにいる現象としては毛布おばけというような区別だと思っていましたが、この文を見る限り違いましたね。
あと、どうして階段でお茶会を行っているのかという不思議もあります。


△「和人、あんた大きすぎ」「しょうがないだろ。オレのせいじゃない」「じゃあ、誰のせいよ」「オヤジとオフクロ」「そういうのを責任転嫁って言うのよ
毛布おばけを当たり前のよう受け入れてることからも分かりますが、この流れはさらにそれを補強してる印象。両親がいなくなった未明に向かって、親を絡めた下らないやりとりができるほど深く関わる人物。
また、未明にとっては親の存在感がすでに薄いとも言えるかな。
☆「これが、いつもの金曜日の風景――
和人の背景は分からないものの、三人の関係についてはこの一文で簡潔にまとめています。
△「しかし、ひどい話だ」「人が見たら、きっと笑うか呆れるか、そのどちらかだろう
客観的に見たらおかしな状況だと分析していることが分かります。しかし、それでも止めたいとは思っていないわけで。自虐的に受けとめつつも、この空間をなくしたくないと思うほど慣れ親しんでしまっているのかも。
この後に続く一文でも、なんとなくその心情が伺えるような気もします。
☆「女ふたりと男ひとりが狭い階段の踊り場にうずくまり、盛大にお茶会を催しているなんて
窮屈そうにうずくまっている風景の前半と、「盛大」や「お茶会」や「催す」という言葉の対比からも客観的な視点と主観のギャップがあるようです。


☆「あたしはしばらく疑わしそうに眺めたあと、まるで未知の果物でも口にするかのように軽くかじった
和人が持ってきたカステラに対する態度から、よく和人が差し入れを持ってくることと、そのほとんどが口に入れるのもためらうようなものであることが見えてきます。
ただし逆に、思いもよらずカステラがおいしくて感嘆の声を上げた未明に対する反応から、和人自身は自信を持っていることが伺えます。
☆「奇跡だ、おいしい!」「当たり前だ!
こうしてみると、18ページでドアを開け向かい入れた和人が自信満々にカステラを持ち上げる態度に未明が困った反応を示すのも納得ですね。