スロー・リーディング その4

・20、21ページ
☆「十回中八回かそこらは見事に失敗し、その失敗作をあたしたちに押しつけるのだった
和人作のお菓子が失敗ばかりという推測は当たるものの、「(和人が)押しつける」という表現が気にかかるところ。無理矢理食べさせられている感じがするほど、いつものはまずいんだろうか。
また、「十中八九」ではなく「十回中八回かそこら」と表現したのは何故だろう。十中八九よりは微妙に成功率がよいのかな。
そうそうそれと、なんで今回は和人がおいしいお菓子を作れたんだろう。原因があるのかな。それともたまたま? わりと疑問が出てきます。
☆「久しぶりの成功だね、和人」「この前のアプリコットケーキ以来だな」「アプリコットケーキ!」「(あれは冗談抜きで食べられなかった!)
やっぱり和人は自分の作ったお菓子に自信を持ってるような気がする。なのに食べられないほどのものを作るなんて……味オンチとかのレベルではないような。
★「和人はあたしたちの生活に欠かせないビタミンのような存在になってしまった
ビタミンは「微量でも円滑な生活に必要な必須な要素で、体内では合成できないもの」とのこと。


△「食べ盛りのあたしたちは、ひたすら食べて食べて、食べつづけた
どうして食べまくるんだろう。そもそも、積極的に食べたいのか消去法的な選択肢の末に食べるのか。一番簡単に思いつくのはストレスですが……。毎週暴食をしていてもスリムな体型を維持しているお三方がすごい。
△「こうして過ごす、金曜日のひととき」「それは、あたしが”家族”という言葉を実感できる瞬間である
血縁家族ではない和人とふわふわした存在である毛布おばけがいるときに、家族を感じることができるらしい。興味深い文章がその後も続く。
△「父と母を失い、姉妹だけになってしまってから、家族という言葉は意味をなくしてしまった」「しかし、この金曜日、この階段の踊り場で、この三人がそろった時、あたしはふと家族という言葉を思い浮かべる
前提→(逆接の接続詞)→主張のパターン。姉妹だけになったからといって「家族を実感できなくなった」というのは違和感がありますが、この場合は頼れるお姉ちゃんが毛布おばけになってしまったからでしょう。
☆「今なら、こういう時なら、あたしたちは家族だという気がする……」「だから、金曜日の階段は、あたしにとって至福の場所である。心が休まる
三人でのお茶会が、家族を実感できる=心が落ち着くらしい。お姉ちゃんのためだけに、お茶会を行っているわけではないことが分かります。


21ページの文章は色々と味わい深いです。未明が家族という言葉をどう捉えているかがキーポイントになりそう。
ここまではっきりとした描写はないものの、金曜日以外のお姉ちゃんは立派で未明の生活もしっかりサポートしていると思うのですが、そのときは家族という言葉では受け止めていないわけで。
違いはやはり「本音・本性」が出ているかどうか、なのかな。各々がしたいことをしている状況に、家族という言葉を実感しているのでしょうか。そう考えると、もりもり食べ物を押し込むことがやりたいことになってしまいますが……あながち間違いでもないような。
なんとなくですが、父と母が健在なときの「家族」と三人でお茶会をしてるときに実感する「家族」は意味合いが違うようにも感じます。どうなんだろう? 今後も注目したいところ。