スロー・リーディング その2
『毛布おばけと金曜日の階段 (電撃文庫)』
・16ページ
「猫の眠りのように浅く、漂うものだ」
「この世界と、そうではない場所のあいだにある、灰色の領域をさまよっている」
毛布おばけはこのように描写されています。現実と夢の狭間に浮いてる架け橋的で中途半端な存在。
「お姉ちゃんは、その名をさくらという」
「日本人が一番好きな花の名だ」
「清楚で、美しく、そのくせ狂ったように咲く花の名だ」
初めてお姉ちゃんの名前が明らかにされています。2行目はお姉ちゃんが好かれている印象を受けます。3行目は狂ったようにという言葉が印象的。これもまたお姉ちゃんへのイメージからでしょう。
「狭い踊り場に身体を押し込み、ぺたりと座る」
毛布おばけの隣に座る描写ですが、これは15ページ、
「父と母がいなくなってしまってから、この家はやけに広く感じられるようになった」
に繋がるイメージを喚起。広く感じられるようになったのは、喪失感もあるだろうし、それを補うかのように2人が密着するようになったことも影響してるかも。
・17ページ
「時々、昔のことを思いだす……」
以下、お姉ちゃんは奇跡のようにすごい人で、家庭が崩壊してもお姉ちゃんがいれば安心と親戚からも評判だったことが綴られています。
「でも、彼らは間違っていた」「なんて無責任な人たち!」
文章の流れ的には、無責任な人たちと名指しされているのは親戚の人たちですが、ここでは未明自身も含まれているんでしょうか。その後に続く段落がいい訳じみているようにも見えるわけで。判断保留。
「お姉ちゃんが本当は一番壊れやすかったんだ」「そうじゃないかって思ったことは何度かある」「でも、あたしは深く考えないままにしていた」
「死んでしまったお父さんより、病院にいるお母さんより、お姉ちゃんのことを可哀想だと思う」
普通に考えればこの思考はないんだけれども。お姉ちゃんの危うい雰囲気を気づきつつ見逃していたから、未明自身が責任を感じているからと読み取るのは邪推かな〜。
そもそもお母さんの心の病気はどういう状態なんだろう? 茫然自失なんだろうか、取り乱しているんだろうか、それとも全然別なんだろうか。この後、描写ってあったかしらん。